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2016.09.22

家族葬とコミュニケーション

家族葬は社会・文化面から考える

現在、葬儀といえば「家族葬」という時代を迎えました。これほど家族葬が一般化した背景には、超高齢社会の到来、世帯の小規模化、地域コミュニティの希薄化、宗教観の衰退、経済的不安など社会構造の変化が大きく影響をしていると思います。

また、家族葬を考えるとき、以前の終活コラム「家族葬とは?(リンク)」において説明いたしました、家族葬が、儀式を通して、遺族の悲嘆に対する援助、すなわちグリーフケアの役割を担っていることも見逃せません。

家族葬は、社会・文化面から考えることが大切だと思います。


故人との最後のコミュニケーションが大切です

まずは、家族葬の文化面から考えてみましょう。

家族葬が素晴らしいのは、家族と故人とが、儀式を通して、最後のコミュニケーションを十分に取ることができることだと思います。
そして、この時間が故人と家族との新しい関係性を築くことに役立つのです。

アメリカの著名なグリーフカウンセラーであるアラン・ウォルフェルト氏は、次のように語っています。
「儀式は、言葉だけでは充分あらわせない信仰や感情を代弁、象徴してくれます」―すなわち、儀式は、私たち意識や無意識に働きかけ、非日常的な感性の世界を創り出します。
その世界の中で、儀式は、故人との想い出である「過去」を「現在」につなげ、そして、故人の遺志を引き継ぐ「現在」を「未来」につなげるのです。
さらに、儀式は、「この世」を「あの世」と結びつけ、別世界に旅立つ故人との関係性を明らかにしてくれるのです。
 

葬儀の機能に歪が生じる

次に、家族葬の社会面について、家族葬と一般的な葬儀との比較で考えてみましょう。

一般的な葬儀は、社会的なコミュニケーションの場として捉えることができます。
すなわち、家族、親族、そして会葬者が、葬儀のプロセスである臨終、通夜、葬儀、法要の場を通して、互いに交流する場と考えることができるのです。

それに対して、家族葬は、家族を中心に行うので葬儀の参列者として、親族や会葬者を対象外にしてしまいます。
そのため、葬儀の社会的機能に歪が生じるのです。

すなわち、故人と家族あるいは家族の間では、コミュニケーションを深めることができますが、その反面、親族や会葬者とのコミュニケーションを無視することになります。
その歪の代表例が、葬儀が終わってから、自宅に弔問に訪れる故人の友人あり、葬儀の告知をしなかった為に生じる親族からクレームです。

人は、ひとりでは生きていけない社会的動物です。自立していると思っていても、時には、周りの人たちの助けが必要な場合もあるでしょう。

是非、葬儀には、故人の人間関係を遺族に移行し、遺族のために、再構築するという大切な社会的な働きがあることを忘れないでください。
 

葬儀用品は、コミュニケーション・ツール

家族葬の社会面と文化面を融合するのが儀式の機能だと思います。

そこで、家族葬を「儀式の本質」から見れば、葬儀式で使用する商品・サービス、そして設備は、故人、遺族、参列者、僧侶のためのコミュニケーション・ツールだと考えることができます。

例えば、親しい友人などの参列者が故人を偲ぶためには、故人の人柄を感じさせる「遺影」の存在が重要です。
また、家族と参列者が故人と接するには、故人を生前の姿に近づける「エンバーミング」処置も大切だと思います。
さらに、遺族が故人との思い出に浸り、一体となれるが「会食」の時間や場所ではないでしょうか。
そして、僧侶が故人を「あの世」に送るためには、祭壇を中心とした儀式用品がコミュニケーション・ツールと言えるでしょう。

今回のコラムの図版は、曼荼羅をモチーフとして「儀式の構造」をデザインしました。
曼荼羅とは、インドの古代宗教から生れた密教の宇宙観です。
すなわち、曼荼羅とは、如来(仏)、菩薩、明王、天部などが相互供養を行う歌舞音曲の世界、仏の悟りの世界を現わしています。
この曼荼羅に表現された相互供養という儀礼から「葬儀の原点」を見出すことができるのです。
そして、この相互供養とは、コミュニケーションと言い換えることができると思います。

分析心理学を創設したユングは、曼荼羅を古代からの神話や伝説、昔話などから受け継がれたイメージ「原型」という心的構造として捉えました。
曼荼羅は、私たちの心、そして儀式と深い関係があるのです。

儀式は、私たちの心の安定や人生の意味を与えてくれます。家族葬を行った時、親族や故人の友人達も、故人との関係において儀式(コミュニケーション)を必要としているかもしれないということを考えてみてください。

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